2021/07/27_なにもわからない

 悪い反芻思考と希死念慮しかない。どうしようもないのでいろんな啓発情報を読んだり見たりしている。だいたいどこでも自分に親切にしろという。理屈はわかる。自分以外自分に親切にできるやつ自分を肯定できるやつはいないから、自分で自分を否定するとどこで褒められることもないし褒められても信じなくなるから。それはそうなのだけれど、いったい自分に親切にするってどういうことなのだろうか。自分を甘やかすことならわかる。現状を肯定しつづければいい。けど自分に親切にするってなんだ?ただただ肯定することが親切にすることなのだろうか。よくわからない。

 自己肯定のために自分の好きなことをしましょうといろんな箇所で言われる。嫌なことばかり引き受けると自分の人生が他人の都合で決まっていってしまうからとかなんとか。さっきの話も同じで多分マインドフルネスと呼ばれるものは一貫して今現在の私の幸福をいかに肯定・確保するかの技術なのかなとおもう。たしかに今自分がやっていることを肯定できないと、やり終えたことも今後やることも、どこも褒めるべきポイントはなくなるし、注意喚起されて叱るべきだと思う。それぐらいそのことは忘れやすい。気を抜くとどこかにゴールがあって決定的な評価がどこかで下されるものだと思ってしまうし、そこまで頑張ればいいものだと勝手に決め込んでしまう。誰もどこにもゴール設定していないにもかかわらずだ。しかも報酬を約束していないといつまでもそれが得られないので絶対にモチベーションがなくなる。多分考えられる限り悪いことしか無い。ただ自己批判と自己否定は切り離し難く、自己否定を切ってしまうと自己批判の目がなくなる気がする。もちろんなんらかの明確な目標や理想像、仮想敵が存在するなら自分を改善するための自己批判は出来るだろうが、全てがそんなものと関わりがあるわけではない。

 というかそもそも、一体何を目指そうというのだろうか。自分の目に付く人と片っ端から比べて自分を否定することはしてきたが、その実その誰かになりたいわけでは実は無かったりする。

 自己啓発は啓発された人間が手にすべき習慣のための知識と注意喚起は提供するが、そもそも何の熱意も目標もない人間は手にとったところで空虚になるだけなのではないか。自分がそれではないのか。

 結局またいつもの話に戻ってきてしまう。好きなものがわからない。楽しいと思えない。こんなことして何になるんだと思ってしまう。結局何もわからない。