2021/01/23

ブラウジングしていたら日付をまたいでしまった。

魔女ぐらい形式に敏感になったほうがいいかも知れない。

魔女ぐらい形式に敏感になるとは、例えばある薬を作るために必要な材料が「必ず朝露の自然に溢れたものでなければならない」とかそういうこと。

そういう魔女の形式になぞらえて、「日付を超えてブラウジングしてはならない」とか「朝は必ずこの時間に起きる」とかそういう翻案を考えてみる。そういう本案が生活の役に立つかも知れない、という淡い期待をする。

しかし自分が最初の魔女になるので、形式そのものに手を触れることがそもそも難しいかも知れない。魔女らしい形式の手触りを何度も空振りする手で探してみる。

ブラウジングしていたので日付をまたいでしまった。

明日は少し早く起きてみようと思っていたのに。

そういう新しい習慣について考えていたのに。

習慣について考えられるときにはたいてい健康なので、習慣について考えることはいつでも楽しい。けれど、習慣の中に入ってみると感じるのは退屈ばかり、感情の摩耗ばかりであって、新鮮さや鮮烈さや劇的な情動は一切無縁になってしまう。

習慣のない怠惰は激情がなくとも気楽であるが、激情のない習慣は神経をすり減らし不健康になるばかり。本物の怠惰、堕落である。これよりはよっぽど自主的な堕落のほうが望ましい。健康的である。引きこもりばんざい。出不精バンザイ。しかしまあ、高貴な怠惰も続ければ退屈は免れぬ。そうしてまた退屈な習慣へ期待を寄せるのだ。

習慣をご存知だろうか。

習慣は人間の行動の40%を支配する。らしい。実際朝起きて顔を洗って歯を磨くまではプリセットだ。誰もが考えなしに一連の朝の儀式を終えてしまう。改めて考えてみると強烈ではないだろうか。わざわざアルゴリズムを考えてコーディングしたわけでもないのに、人間は何度も繰り返したことを自動でやってくれるらしいのだ。プログラミングなんて目じゃない。一番身近な仕事能率化の契機が目の前にあるではないか。

とまあ、仕事熱心な人間ならこう考えるのだろう。

僕は仕事熱心な人がそういう事を考えてかき集めた情報の束(ブログとか動画とか)を眺めつつ、「ああそうか、こうやるといっぱい遊べるぞ」と思った。阿呆である。

習慣は人間の思考とかやる気とかを必要としない、それらとは無縁な行動の一つだ。言い換えれば、習慣的行動の中には思考や感情の芽生える空きはない。要するに退屈である。習慣は感情にある種の鈍化作用をもたらすのだ。だから、遊びは絶対に習慣化してはならない。必ず退屈になるから。

こうなると一番の問題は退屈の方だ。

高貴な怠惰も、不健康な怠惰も結局退屈にぶち当たる。多くの人間が、記事が、「いかにして習慣化するか?」「習慣化するにはどのくらい時間がいるか?(2ヶ月ぐらいらしい)」「習慣化のコツはなにか?(少ない変化から始めることらしい。例えば習慣化する内容のハードルを著しく下げるとか)」などと考えているが、本当の問題はそこじゃない。退屈のほうがよっぽど問題だ。ケインズの予言はやっぱり正しい。

高貴な怠惰。予定も縛りもなく、好きな時間に寝起きしていい毎日を、僕はここ1年ぐらい続けていた。大学の講義で要求される出席日数というのは意外と少ないものだ。課題をやってきちんと単位を取れるなら、最大限家にいることが出来る。そうやって2回生の冬頃から、今年の冬(件のウイルスでステイホーム。オンライン大学生)までずーーーーっと引きこもっていた。

そうすると著しく変化の数が減るのだ。毎日同じようなことをしている。気を抜くと無意味なブラウジング、動画サイトの徘徊。電子画面に釘付け。

変化の数が減るとどうなるか、時間の流れが著しく遅くなる。楽しくてわくわくすることがしたい心の時間と、感じる変化が少なすぎてスローになった体の時間がズレてしまう。心の時間に体がついてこないから、心はますます退屈になる。心が何かを始めるたびに体のローディングが始まる。人間通信制限だ。最悪。アクセスしてるのはオニオンランドじゃないんだよ。

話がそれた気がする。そうそう。退屈。

結局、高貴な怠惰とやらは人間通信制限のせいで退屈させられる。このときまっさきに欲しいのは体の加速(通信制限解除)だ。そう。だから習慣化。習慣化することで一日に多くの出来事、仕事を詰め込む事ができればやる気とか気力とか関係なしに、体の時間が心の時間についてくるかも知れない。そう思った。思ったはいいものの、御存知の通り、習慣化はその習慣内容そのものに対する感情を鈍麻させてしまう。さてどうしたものか。

魔女。ここで魔女。

フィクションの中だけかも知れない。けれど、魔法使いは多くの形式、儀式の中で数多くの魔法(事象と結果の習慣)を使いこなす。しかも彼女たちは楽しそうだ。雰囲気もいい。ミルドレットシリーズ以後の魔女表象にはヨーロッパの田舎の素敵な石畳が醸す空気が含まれている。気がする。まあイメージなんてそんなもんでいいのだ。とにかく魔女と形式をモチーフにできないだろうか。魔女と形式をモチーフに習慣と退屈について考えてみたい。

習慣と退屈の美的な均衡。あるいは退屈ではない習慣。

魔法はそれ自体善いものだ。事象と結果の以外な結びつきは、秘密が持つのと同じ独特の期待感・緊張感を与える。私(たち)だけが知っている秘密の結びつき。

習慣もこんなふうに色づけられないだろうか。私だけが持っている、秘密の習慣。秘密の事象と結果の結びつき。

続きは明日以降考えよう。

でもまあ、いい線という気がする。