2021/01/26_魔女のような散歩+すぐ夜ふかししてしまう話

魔女のような散歩

 先日投稿した怪文書で、「習慣は一般に退屈する。退屈しない習慣のために、魔女の扱うような(客観的には”しょうもない”が、ある種の強度のある)形式性を取り入れるのが楽しいかも知れない」という話をした。
 あのあと毎日、同じ時間に同じルートで散歩をするようにしてみた。これが意外と楽しい。ルールが明確なので意識はそれをなぞるだけでよいのだが、ルール通りに事が運ぶと報酬系が回るらしい。決まった角を曲がるとか、ここから出るとか、ここでこの方向に移動するとか、そういう”しょうもない”ルールをこなせたことが楽しくなったりする。人間ってチョロい。
 それから、おもしろい効果もあった。数日続けたある日、無意識にルートから外れたのだ。最初に決めたルートから外れたことを、少しあとになって気づいて、まっさきに思ったのは「疲れてるな」ということ。実際、その前日と前々日は普段より睡眠時間が短かったりしたし、その日の夜も上手く寝付けなかった(自律神経が乱れて交感神経が優位になっている証拠だ)。要するに、自分の体調の変化に気づく指標になったのだ。こいつぁいい。

 哲学者のカントが毎日決まった時間に散歩をしたというのは有名な話だ。それからデカルトが毎朝起きてからしばらくは思索にふけったという話も有名かもしれない。
 自分だけのルールや習慣を持った偉人は多い。調べたらきりがないくらいだから、今回は言及しないが、その事実だけでも十分だろう。実際奇妙な習慣は役に立つらしいのだ。しかもルールは”しょうもない”無意味なものであるほどいいかも知れない。意識しないとそのとおりにこなせない、無意識で動くとそうはならない、不自然な行動であることがこの魔女っぽさのミソであって、ここ数日の僕の散歩が上手く言っている由縁のようなのだ。
 気が向いたらみんなも魔術を使ってみるといい。

すぐ夜ふかししてしまう話

 気ままな生活をしていると時間の感覚がおかしくなってしまう。マクタガートがわかる人に向けて言うと、「時間の感覚がおかしくなる」というのは、普通(学校とか労働とか)社会生活に従事していると直面する「予定」が日付と時刻に基づいたB系列の時間だとして、時間のイメージがB系列からA系列へ、自分が従事するコンテンツや仕事といった出来事の変化の数に基づいたA系列の時間概念へと頭が切り替わってしまう感じだ。わからない人に向けて言うと、「時間の感覚がおかしくなる」というのは、「気づいたら四時」とか「気づいたら二時」とかそういうのだ。そういう状態になるとどうなるかというと、寝るのが遅くなる。
 「まだやることがあるな」とか「日中これ出来なかったな」とか言って時計も見ずに作業してると、睡眠時間を削ってしまう。健康な学生諸君は「よふかしぐらいどうだって」と思うだろうが、そういうわけには行かない。次の日少しだけ頑張れなくなるし、その日に更に無理をするとまたその次の日もう少し頑張れなくなる。こうやってちょっとずつ負債が貯まるとある日「やる気」とか「体力」とかが空っぽになって深刻な無気力になる。頑張りすぎてburn outというよりは、少しづつ出来ることが減ってきてゆっくり鬱状態になりbore outするので相当たちが悪い。2019年末から今年まで不登校大学生(単位は取った)だった僕が言うのだから間違いない。
 いや、本当に大丈夫な人もいるかも知れないが、そういうのは極稀であって基本的には夜はゆっくり休んだほうがいいと思う。思いはするのだが、そう簡単には行かない。やりたいことが多すぎる。やれることも多い。とにかくいくら時間があっても足りないのだ。あくまでこれは気持ちの面であって、実際には体がついてこない(そしてそれが問題という話である)のだが。

 まあ問題があるなら解決しよう。睡眠時間がいつでも確保できるわけじゃないなら、まずは睡眠の質を上げてみよう(睡眠の質が上がって体力に余裕ができれば、睡眠時間を確保するためのマネジメントも出来るかも知れないし)。
 というわけで昨日から夜寝る前に白湯を飲んでアロマオイルを焚くことにした。MYTHOSのスイートオレンジというやつを使っている。家にあった。(けっこういいお値段するな……。)
 柑橘系の精油は揮発性が高いのでウッド系と混ぜるといい、と聞いたがウッド系はなかったのでオレンジだけ。ディフューザー(焚くやつ)は「超音波式」といって水に溶かしたオイルを水ごと霧状にして香りを広げるものを使っている。白くてかわいい。
 最初に感じたのは、オレンジピールとかレモンピールのピリピリする感じ。あとから基底音のように甘い香りがやってきて、そのうえから口蓋の裏を抜ける酸味が感じられる。香りに集中してゆっくり吸うので、自然と腹式呼吸になって呼吸が整う。面白かったのは、呼吸が切り替わるタイミングで一瞬、その直前までの呼気が荒かったことがわかったこと。「交感神経が優位ってそういうことか」と勝手に納得した。
 借りてきた本と辞書を積み上げた上で白い煙をモクモク吐くディフューザー。夜中にリビングの真ん中であぐらをかき、両手で包んだマグカップから白湯をすすりながら、延々と煙を吸う。
 その日は緊張がほぐれてよく寝付けた。
 今晩も試してみようと思う。

-おしらせ?-

 失敗が知識だということが、あまり共有されていないように思う。というか、失敗が知識だということを最近知った。そして誰もそんな事教えてくれなかった。
 普通に生活して、普通に教育されて育つと、失敗は悪いもので、避けるべきで、恥ずべきものと思うようになる。テストの点数が悪いと怒られるし、テストの点数が良くても満点じゃないと「なんで満点じゃないの?」と怒られる。「なんでこんなこともできないの?」と辱められる。いい環境じゃない。けど、そういう事を言う親や教師は多いんじゃなかろうか。少なくとも僕はそうだった。結果、失敗は悪いことだと思いこんできた。
 世の中には業務上の失敗をコルクボードに貼り出して共有する会社もあるそうだ。彼らは失敗を資産だと考える。仕事上の失敗が社内で共有されれば、避けることの出来るミスはきちんと避けられるようになるからだ。そうすれば無駄に怒ったり怒られたりして業務を遅らせることもなくなる。
 怒ってもやらなきゃいけないことが減ったり、損失が回復したりするわけじゃない。だから失敗に怒ったり、いちいち自分を攻めたりするのはやめようね……。とは言わない。やめようねって言ってやめられるもんじゃないからだ。人の失敗にイラッとするだろうし、自分の失敗にムカついたりするだろう。それはもうしょうがない。受け入れるしかない。
 ただ、失敗にはもっと別の側面があるという話(そしてその側面を注視している限りは怒りとかあんまりいらん感情は関わり合いにならずに済むという話)だ。そしてその側面はあんまり知られてないという話だ。失敗は共有すると役に立つという話だ。
 失敗を共有しようと思う。最近「あれ失敗だったな」と思うことが多いし、ブログで書いて共有するネタとしては相応に価値のあるものだろうし。
 要するに、この日記みたいなタイプの記事はこれから何度か公開されるだろうということだ。
 追ってくれると嬉しい。