2021/07/13_脳がバグってきた

 古いブログを漁っていると、一回の投稿が200文字無いぐらいのツイートみたいな投稿が連発されるブログを見かけることがある。

 はてなブログに登録して「設定」を覗いていたところ、この謎(?)が解けた。

 「メール投稿」と言うシステムが存在し、ブログに設定されたアドレスにメールを打つと記事が投稿されるという仕組みらしい。なるほどこれならパソコンを用意しなくともTwitterをするみたいにブログが書けるわけだ。

 謎と言うにはあまりに単純で、単にメール投稿を知らなかったというだけなのだが、例えばメールとwebページの連動があり得ることはアカウント登録とかメールブラウザがるから知っていて、件の古いブログが書かれた年代にスマホが普及しておらず、PCを立ち上げて執筆するほどでもない分量の記事が連投され、しかも記事の内容からして外出先と思われる、ということまでわかっていれば、メールを使って投稿したのではないか?という仮説をたてるところまでは行けたはずで、そこまで行けば「メール投稿」機能が存在することの裏付けはほんの少しググればわかることのはず。何がいいたいかと言うと、知識で解決できる疑問ではあったが、知識に到達する仕方が今回のような偶然ではなく、仮説の提唱とその検証というかたちで起こり得たなら、ある種の謎とも言えたのかもしれないということだ。まあどうでもいいのだが。

 そして私は今日3回目の投稿をパソコンでしている。

 

 久しぶりに(?)正確には5日ぶりに卒論を書き足した。アウトラインやデータ収集のための執筆ではなく、それらを再構成して読むための執筆である。

 なんでも無いところで200文字、ひねりどころのない確認で800文字書いたが一瞬で脳がバグった。作業時間はよく覚えていない。2時間もやってないはずだが2時間経っている気はする。

 授業でレポートを書いていた時とは比べ物にならない遅さで正直引いている。他の箇所の執筆もこんなペースだったのだろうか……。時間あたり500文字?

 今適当にブラウジングしたが小説家には一月で一冊用意する人がいるそうで、15万文字の本を日に2時間半作業して書く場合時間あたり3000文字書くことになるらしい。小説と卒論ではそうとう違うが、それ相応の経験や知識、勉強なしに小説は書けないだろうから甘く見てはならない。小説家を論文作家にコンバートするのは現実的には無理だろうが、それでも比較するなら少なくとも自分の3倍か4倍は書くんじゃなかろうか。

 

 書くペースはもう書いてリハビリしていくしかないと思う。嘘でも3日で2~4千字用意できていたわけだから、続ければ戻るか成長するかするだろう。書くことが決まっているのに脳みそがバグって思考停止してしまったのには自分でも驚いたし、以前のペースとはギャップがあったので不安にもなったが少しずつ良くしていくしか無い、としか言えない。

 

 昼間はずぼらの理由を漁っていたが、その後、そもそもあえてめんどくさい作業をしなければならないのはなぜか改めて考えてみた。普通に就活してやっつけの卒論を書くなり買うなりして卒業すればよかったんじゃないかとか、卒業放棄してフリーターになっても別にいいんじゃないかとか。

 結論としては「それはそうだな」と言う感じで、逆にあえて頑張る理由がどこにあるのか考えるのが必要だなと思った。自分はまともにスケジュール管理できないし対人スキルよわよわなので、おそらくちゃんとした就職はできないだろうな、就職しても働けないだろうなと言う予感がある。それでもあえてちゃんとした仕事(?)につこうと思うと、裁量権があって個人プレイで提出物さえこなせればなんとかなる仕事が向いていそう。フリーランスプログラマとかが妥当なのだろうが、自力でプログラミングを習得するほどの熱もなかったし(Pythonを齧って折れた)プログラミング教室に通うお金もないのでちょっと達成まで距離がある。それにフリーランスなら脳みそが溶けたおっさんになるまでの間ならいつ勉強を始めてもなれるんじゃないかという気がした。とりあえず自分は哲学科に居て、そこらの学部生よりはマシな勉強(?)をしているので惰性でこのまま勉強を続けて、行けるところまで行ってお金がもらえる所につながればなという風に思った。大学を一度離れて入り直すのは難しいし、勉強し直すのはむちゃくちゃガッツがいるので体力のない自分には無理だろうなと思う。結論、勉強は惰性だ。肩肘張って頑張るモチベーションは正直ないことがはっきりした。まあ、大学に居られなくなって後から勉強すればよかったと思うよりは、いまちょっと頑張るほうがラクじゃないかなぐらいの気持ちはあるかもしれない。

 ただ頑張るのは嫌だ。報酬がないから。

 学生の身分で勉強してもお金がもらえるわけじゃないし、交友関係が増えるとか、楽しい友だちができるとかいうことはあんまりない。本当に勉強が好きでガチでやっていたら勉強が好きな面白い人が集まってきて面白い感じにはなるだろうが。正直そうじゃない友だちもほしい。そうじゃない友だちこそほしい。気を抜くと真面目な話とかほんの話ばかりしているし、そこでかわされるすべてのメッセージの裏には常にもっと勉強しろという強迫観念が控えているので疲れる。大学生活の最初の失敗は遊ぶだけの友だちを確保して置かなかったことだなと思う。

 とにかくわかりやすい報酬がほしい。仕事と対価と言う意味では、多分「仕事がつまらない」ことで悩んでいる大人のためのブログを漁るのが良かろう、と思って漁る。転職サイトに誘導するものが多くて見たい話がすぐ見つからない。

 

https://www.shigoto-web.co.jp/tensyoku/archives/shigoto-tsumaranai/

 27超えて転職はおすすめしない、鬱はまっさきに直して健康な状態で重要な判断をする、人の仕事をもらうとか副業するとかするといい、みたいなことが書いてある。

 卒論的な作業と関連する副業ってなんかあるんだろうか。どちらにせよ下準備と言うか勉強期間が必要な気がする。お金がもらえるほどのスキルが自分にはあると思えない。……そう考えて自分の今の仕事はマネタイズに程遠いんだなということに気づいてハッとした。アホなので気づかなかった。

 

https://mynavi-agent.jp/dainishinsotsu/canvas/2019/11/post-256.html#sec4-1

 4-4.の自分に原因がある場合の対策で、自分の仕事が業界全体でどういう役割をするのか俯瞰するとか、他の業種の人と話して自分の仕事を客観視するとか書いてあって、これはちょっとやっておきたいなと思った。そもそも文系不要論が叫ばれたりしてる世の中で、しかも哲学となるとなかなか世間一般の何の役に立つのかよくわからないし、他の人と話すと励まされるよりはむしろモチベーションが下がりそうで怖いが。それでも哲学を自分の仕事と自認している人が一体どんな動機でやっているのかは気になるところ。卒論で直接取り扱うつもりはないが、自分の関心とも連関するかたちで非常に近い問題なのでそういう面でも関心がある。あと業界での役割は序論で確認したけど、原文も怪しい他の著作群もそれほど押さえてない学部のガキが書いたものにそんなもの担えるんか?ア?という感情がある。私は怒りがだいたい自分に向く損な性格をしている。チームFPSやって仲間にキレようかな。どっちもやったことないけど。

 

 雑にまとめると、マネタイズ出来るレベルまで自分のスキルを上げるとか、やってることの客観的意義がわかるとかすると良いよってことになるのかな。

 後はもう仕事の客観的意義を自分で勝手に作れば良いのかな。

 現状若干厳しいけど、とりあえずめちゃくちゃ読みやすく各努力を続けて、願わくば卒論がある朱の哲学入門として読めるようになってると、後ろの学部生とかネットの数少ない読者さんも楽しめたり役に立ったりするかな。

 

 じゃあバグってきた脳がマシになって落ち着いてきたんで、こんなところかな。

 ちょっともう今日は作業しません。ではまた。