2021/07/14_夏休みの宿題みたいな

 昨日は1000字しか書けなくて焦ったが、毎日2時間使って毎日1000字書いたら来月の頭には2万文字になる。夏休みの宿題みたいなザコの計画性だけど、気休めにはなるのかもしれん。

 

 こういう事は考えないほうが良いのかもしれない、というのが最近の結論だったのだが否応なく考えてしまうことがある。卒論執筆に必要な時間が毎日2時間、睡眠とかその他で8時間使うとして、14時間は自由に使えることになる。毎日それだけの時間があれば、語学の勉強をするとか、情報ブログを書くとか、動画制作をするとか、絵の練習をするとか、色々全部できそうなもんだ。ただ実際にそんなふうに動けた試しはない。

 大学生は凄いっていうイメージがある。色んな分野に特化した大学生を安易にごちゃまぜにして抽象的大学生を想像しているだけで現実には不可能なのかもしれないが、大学生はSNSにファンが居て、動画制作とかブログとかイラストとかのコンテンツを提供できて、なおかつ勉強ができて、プライベートではきちんと遊んでいる人たちというイメージが有る。自分はそうなるべきなのにそれと程遠いという気分になる。10代20代を損しているという天の声が聞こえる。誰だよ。俺か。

 中学生とかからやり直すべきだったんじゃないかと時々思う。お金をためてゲームではなくデスクトップPCを買って、ニュースとか批評とかの情報を集めながら掲示板に触れるとかプログラミング齧るとかしながら、自分でテキストを書いたりそのために本を読んだりしていれば、高校生の段階で下地が全然違っただろうなとか。ただ全然そういう関心にはいかなかったかもしれないとも思う。小学生の頃から僕らは動画サイトを知ってるし安くて安易な娯楽で十分満足してしまったのではないかと。

 こんなこといまさら悩んでもきりがない。リビングの隅のノートパソコンの前でだるまみたいにかがみ込んでYou Tubeで音楽を聞き続けた中学時代を今更どうこうできるわけではない。

 

 クーラーの匂いのするリビングで蝉の音を聞いていると、長い夏休みの中頃にかならずある何の予定もなくてただ何をするでもなく家にいるだけの一日を思い出す。歳が上がるにつれて親が私をイベントに連れ出す回数も減り、宿題も要領を掴んで、休みの日数そのものも伸びた。大学生になって最初の夏休みは遊びに行く友達がいなかったし本当に漠然と勉強しなきゃならないと言う観念だけがあって発狂しそうだった。あのなにもない時間になにかできたのではないかという気持ちはあとになって必ず湧き出る。

 今日も明日もそういう時間になるのではないだろうか。漠然と何もできずにいる空の時間。後から後悔する時間。

 

 マクロな結果だけを考えるとその間の作業が途方もなく長く見えて脳がフリーズする。天井を眺める一日がまた一つ増える。

 指導教官に、君は目の前の仕事を一つずつ終えることを考えたほうが良い、結果としてそれが全体を構成することになるから、というようなことを言われた。

 卒論だけじゃなくて生活の次元で実践すべきことなのかもしれない。ミヒャエル・エンデの『モモ』は半分しか読まなかったが、前半分のところで、遠くを決して見ないで目の前だけを見て掃除する、すると夕方には自ずとストリートを全部掃除し終えている、と言う話があった。ストリート全体を把握しなければ、ペース配分というか、目の前の仕事をどのくらい早く終えるべきなのかわからないではないか、というのが当時読んだ感想で今もそうなのだが、これは絶対に一日の間にストリートを掃除し終えなければならないという制約を前提としている。意地悪な監督者が居ない限りそういう制約は基本的に現実にはゆるい。業務時間外で補填するとか、次の日掃除できなかった場所から掃除するとか、昼休憩でペースを再確認するとか、もっと融通がきく。ペースが思ったより早いなら、さっさと終わらせて別の仕事をすればいい。どうも提出期限があるとそのぎりぎりまで作業してないとおかしいような気がするが、実は別にそんなこと無いはずだ。なんなら黙って作業結果を持っておいて、期限に間に合ったかのように提出すればいい。

 朝から鬱気分で脳がゆだってきた。昨日の晩は作業してから眠ったので悪いことを考えなかった。朝でもなんでもいいから毎日どっかでネガティブにならないとメンタルが静かに壊れていく。潜在的な思考というものはあると思う。表出しない自己認知されない思考。そういうレベルで自己否定が入ると通知なしにデバフ状態になるので自分で自分をデバフ状態にして解除するのが多分一番安全。

 

 例えば中学生が批評をやるとかプログラムをやるとか言うときに、本人にまだそんなに関心がなくてそれをどうにか動機付けたい時、どんなブーストをかければいいか。これはめんどくさがりがめんどくさいことを少しでも動機付けてやるためにどうすればいいかという疑問と対応するはずだ。それでともかく、どうすればいいか。

 そういうのに詳しい友だちとかそういうので一緒に遊んでくれる友だちがいるというのは分かりやすく動機づけになると思う。一緒に批評の合同誌を作る友だちがいれば嘘でも批評するだろうし、一緒にゲーム作るとかならプログラムもやるだろう。ただ都合よくそんな友だちができる環境にいることは考えづらい。ゲームとか動画サイトとかよりも本や執筆のほうがプライオリティのある環境なんてあんまりないだろう。家賃のちょっと高い地域に住めば別かもしれないが。

 そうなると自分ひとりで満足できるかどうかと言う話になってくる。となると自分ひとりで満足できるための環境が必要で、融通の聞く自分の部屋とでかい机といい椅子とよく眠れるベットがほしいところだ。どんな作業であれその作業の負荷が少なくて成功報酬が頻繁に得られる環境が作れればゲーミフィケーションが成立して楽しくなるのが人間だ。変な姿勢で作業するとか、目に凄い負荷がかかるとか、余計なストレスを抱えているとそういう良いサイクルの流れを邪魔する。それに体力を出しきれないと思う。眠って回復できる範囲の負荷に一日の活動が収まりきらないと疲労が溜まって生活習慣がさらに悪くなり悪循環になる。これは正直自覚がある。最近眠りの質は良くなった気がするが、それでも疲れが回復しきらないことは多い。口の中に傷ができたままになる。できるだけ椅子や机を広く使ったほうがいいのだろうな。最近デュアルモニターを勧められたのだが、そもそも二枚目のモニターを置いて作業する余裕のある机が全然ない。思ったより自宅狭いのかもしれない。

 

 なんの話かわからなくなてきたし、いっぱい話したので今回はこのへんで。