2021/07/17_

 今日は3DSのゲームソフトを売却してきた。3DS本体が膨張して使えなくなったのでゲームソフトが不要になったのだ。千円すれば売ろうと思って突撃したら二千円で売れた。まとめ売りするとお得みたいなキャンペーンのおかげだ。

 売ったお金で別のゲームを買おうと思っていたけれどやめた。もっと安く売ってるところがある気がしたし、今なんのゲームを買ってもあんまり満足しない気がする。

 

 昨日も休んだけど今日も休みたい。毎週三連休がいい。ほんとはもっと休んでいたいかも知れない。けど休んでばかりいるとストレスで脳が炎症を起こすから無理。

2021/07/16_まくら

 話の枕というやつ。自粛以降(ホントは少し前から)ゆっくり解説動画をいっぱい見たのだけれど、解説する前に視聴者を話しに集中させるための小話?前フリ?みたいなことをみんなやる。たしかにあの間がないとこれから聞くぞっていう準備ができない気がするし、これから解説されることと自分の関心とか日常の経験が結びつきにくくなる気がする。

 卒論も序文と言うか、これからする話がどういう話なのかっていう導入を書くのだけれど、私は哲学科なので「実在論とか観念論ってあるじゃないですか~」みたいな感じで始まる。そんな枕見たこと無い。なんかこういうのは異常だな、と最近になって思ったし、最近になるまでこういうのが普通だと思いこんでいたのも異常だったなと思った。

 

 今日は嫌だな。という日がある。

 なんにもできない、なんにもしたくないっていう日ではなくて、やれば出来るけど今日は嫌だなという日。最近気づいたけど、そういう日を無視して休む?遊ぶ?なんらかの息抜きをしないと次の日から調子がおかしくなる。だから今日は明日以降やらなきゃいけない作業に何があるのか整理して、ほんのちょっと書いてそれで終わり。

 

 今日はそういう日なのでそれでいい。頼まれた用事も一応済ませたし。

 けれどかといってきちんと息抜きできたかは正直微妙。切り替えてパーッと遊ぶ必要があるって自覚して動いただけいつもより良かったけれど、だからといって遊ぶのが突然上手くなるわけじゃない。とりあえず気は紛れるかと思って縄跳びをしてきた。今日は少なくともよく寝れそう。枕も新調したし。

2021/07/15_

 夢を見た。全部が終わりに向かっていて、全員が終わり行きの電車に乗る夢。

 終わりの前の駅で死んでしまった人たちが居て彼らの追悼が車内で執り行われる。最後に向かって走る電車の中では様々な人間の感情が渦巻いて、誰かと離れ離れになった人、誰かに阻まれた人、誰とも繋がれなかった人たちの思いがあちこちで噴出する。でも次の瞬間には誰もが眠り始めていて、私も誰かの膝枕でまどろんでいた。終わるってそういうことなのか、と思った。

 

 昨日は用事で出掛けて帰ってから書いて500文字ぐらいだった。途中で中断しなきゃいけなくなって、帰ってきてからはどうもなんとも。とにかく楽しくない、楽しいってなんだ、楽しいを感じられない、と脳がうるさくなったので気が散ってしょうがない。ホラーボイロ動画を見まくった。面白かった。

 

 ところで楽しいってなんだ。退屈だと感じる暇がないことが楽しい? いや必要条件の一つではあっても十分条件ではない。例えばどんなことが楽しい。多分白い部屋でペンキ振り回しながら大声で叫んで走り回ったら楽しい。ゲームで恐らく想定されてない動き、下り坂を滑る間にアイテムを回収させるところでジャンプ連打で逆走するとか、ができると楽しい。……多分規範を破ると楽しい。ゲームのルールを破壊して勝利するとか、常識的な行動の埒外で面白いことを見つけるとかすると楽しくなる。

 すると人一倍楽しいことをしたければ人一倍規範を知っていなければならない。お金があればシュミレーションゲームを大人買いしたいところだが、バイトしてないのでお金がない。どこにいけばルールを集められるだろうか。

2021/07/14_夏休みの宿題みたいな

 昨日は1000字しか書けなくて焦ったが、毎日2時間使って毎日1000字書いたら来月の頭には2万文字になる。夏休みの宿題みたいなザコの計画性だけど、気休めにはなるのかもしれん。

 

 こういう事は考えないほうが良いのかもしれない、というのが最近の結論だったのだが否応なく考えてしまうことがある。卒論執筆に必要な時間が毎日2時間、睡眠とかその他で8時間使うとして、14時間は自由に使えることになる。毎日それだけの時間があれば、語学の勉強をするとか、情報ブログを書くとか、動画制作をするとか、絵の練習をするとか、色々全部できそうなもんだ。ただ実際にそんなふうに動けた試しはない。

 大学生は凄いっていうイメージがある。色んな分野に特化した大学生を安易にごちゃまぜにして抽象的大学生を想像しているだけで現実には不可能なのかもしれないが、大学生はSNSにファンが居て、動画制作とかブログとかイラストとかのコンテンツを提供できて、なおかつ勉強ができて、プライベートではきちんと遊んでいる人たちというイメージが有る。自分はそうなるべきなのにそれと程遠いという気分になる。10代20代を損しているという天の声が聞こえる。誰だよ。俺か。

 中学生とかからやり直すべきだったんじゃないかと時々思う。お金をためてゲームではなくデスクトップPCを買って、ニュースとか批評とかの情報を集めながら掲示板に触れるとかプログラミング齧るとかしながら、自分でテキストを書いたりそのために本を読んだりしていれば、高校生の段階で下地が全然違っただろうなとか。ただ全然そういう関心にはいかなかったかもしれないとも思う。小学生の頃から僕らは動画サイトを知ってるし安くて安易な娯楽で十分満足してしまったのではないかと。

 こんなこといまさら悩んでもきりがない。リビングの隅のノートパソコンの前でだるまみたいにかがみ込んでYou Tubeで音楽を聞き続けた中学時代を今更どうこうできるわけではない。

 

 クーラーの匂いのするリビングで蝉の音を聞いていると、長い夏休みの中頃にかならずある何の予定もなくてただ何をするでもなく家にいるだけの一日を思い出す。歳が上がるにつれて親が私をイベントに連れ出す回数も減り、宿題も要領を掴んで、休みの日数そのものも伸びた。大学生になって最初の夏休みは遊びに行く友達がいなかったし本当に漠然と勉強しなきゃならないと言う観念だけがあって発狂しそうだった。あのなにもない時間になにかできたのではないかという気持ちはあとになって必ず湧き出る。

 今日も明日もそういう時間になるのではないだろうか。漠然と何もできずにいる空の時間。後から後悔する時間。

 

 マクロな結果だけを考えるとその間の作業が途方もなく長く見えて脳がフリーズする。天井を眺める一日がまた一つ増える。

 指導教官に、君は目の前の仕事を一つずつ終えることを考えたほうが良い、結果としてそれが全体を構成することになるから、というようなことを言われた。

 卒論だけじゃなくて生活の次元で実践すべきことなのかもしれない。ミヒャエル・エンデの『モモ』は半分しか読まなかったが、前半分のところで、遠くを決して見ないで目の前だけを見て掃除する、すると夕方には自ずとストリートを全部掃除し終えている、と言う話があった。ストリート全体を把握しなければ、ペース配分というか、目の前の仕事をどのくらい早く終えるべきなのかわからないではないか、というのが当時読んだ感想で今もそうなのだが、これは絶対に一日の間にストリートを掃除し終えなければならないという制約を前提としている。意地悪な監督者が居ない限りそういう制約は基本的に現実にはゆるい。業務時間外で補填するとか、次の日掃除できなかった場所から掃除するとか、昼休憩でペースを再確認するとか、もっと融通がきく。ペースが思ったより早いなら、さっさと終わらせて別の仕事をすればいい。どうも提出期限があるとそのぎりぎりまで作業してないとおかしいような気がするが、実は別にそんなこと無いはずだ。なんなら黙って作業結果を持っておいて、期限に間に合ったかのように提出すればいい。

 朝から鬱気分で脳がゆだってきた。昨日の晩は作業してから眠ったので悪いことを考えなかった。朝でもなんでもいいから毎日どっかでネガティブにならないとメンタルが静かに壊れていく。潜在的な思考というものはあると思う。表出しない自己認知されない思考。そういうレベルで自己否定が入ると通知なしにデバフ状態になるので自分で自分をデバフ状態にして解除するのが多分一番安全。

 

 例えば中学生が批評をやるとかプログラムをやるとか言うときに、本人にまだそんなに関心がなくてそれをどうにか動機付けたい時、どんなブーストをかければいいか。これはめんどくさがりがめんどくさいことを少しでも動機付けてやるためにどうすればいいかという疑問と対応するはずだ。それでともかく、どうすればいいか。

 そういうのに詳しい友だちとかそういうので一緒に遊んでくれる友だちがいるというのは分かりやすく動機づけになると思う。一緒に批評の合同誌を作る友だちがいれば嘘でも批評するだろうし、一緒にゲーム作るとかならプログラムもやるだろう。ただ都合よくそんな友だちができる環境にいることは考えづらい。ゲームとか動画サイトとかよりも本や執筆のほうがプライオリティのある環境なんてあんまりないだろう。家賃のちょっと高い地域に住めば別かもしれないが。

 そうなると自分ひとりで満足できるかどうかと言う話になってくる。となると自分ひとりで満足できるための環境が必要で、融通の聞く自分の部屋とでかい机といい椅子とよく眠れるベットがほしいところだ。どんな作業であれその作業の負荷が少なくて成功報酬が頻繁に得られる環境が作れればゲーミフィケーションが成立して楽しくなるのが人間だ。変な姿勢で作業するとか、目に凄い負荷がかかるとか、余計なストレスを抱えているとそういう良いサイクルの流れを邪魔する。それに体力を出しきれないと思う。眠って回復できる範囲の負荷に一日の活動が収まりきらないと疲労が溜まって生活習慣がさらに悪くなり悪循環になる。これは正直自覚がある。最近眠りの質は良くなった気がするが、それでも疲れが回復しきらないことは多い。口の中に傷ができたままになる。できるだけ椅子や机を広く使ったほうがいいのだろうな。最近デュアルモニターを勧められたのだが、そもそも二枚目のモニターを置いて作業する余裕のある机が全然ない。思ったより自宅狭いのかもしれない。

 

 なんの話かわからなくなてきたし、いっぱい話したので今回はこのへんで。

2021/07/13_脳がバグってきた

 古いブログを漁っていると、一回の投稿が200文字無いぐらいのツイートみたいな投稿が連発されるブログを見かけることがある。

 はてなブログに登録して「設定」を覗いていたところ、この謎(?)が解けた。

 「メール投稿」と言うシステムが存在し、ブログに設定されたアドレスにメールを打つと記事が投稿されるという仕組みらしい。なるほどこれならパソコンを用意しなくともTwitterをするみたいにブログが書けるわけだ。

 謎と言うにはあまりに単純で、単にメール投稿を知らなかったというだけなのだが、例えばメールとwebページの連動があり得ることはアカウント登録とかメールブラウザがるから知っていて、件の古いブログが書かれた年代にスマホが普及しておらず、PCを立ち上げて執筆するほどでもない分量の記事が連投され、しかも記事の内容からして外出先と思われる、ということまでわかっていれば、メールを使って投稿したのではないか?という仮説をたてるところまでは行けたはずで、そこまで行けば「メール投稿」機能が存在することの裏付けはほんの少しググればわかることのはず。何がいいたいかと言うと、知識で解決できる疑問ではあったが、知識に到達する仕方が今回のような偶然ではなく、仮説の提唱とその検証というかたちで起こり得たなら、ある種の謎とも言えたのかもしれないということだ。まあどうでもいいのだが。

 そして私は今日3回目の投稿をパソコンでしている。

 

 久しぶりに(?)正確には5日ぶりに卒論を書き足した。アウトラインやデータ収集のための執筆ではなく、それらを再構成して読むための執筆である。

 なんでも無いところで200文字、ひねりどころのない確認で800文字書いたが一瞬で脳がバグった。作業時間はよく覚えていない。2時間もやってないはずだが2時間経っている気はする。

 授業でレポートを書いていた時とは比べ物にならない遅さで正直引いている。他の箇所の執筆もこんなペースだったのだろうか……。時間あたり500文字?

 今適当にブラウジングしたが小説家には一月で一冊用意する人がいるそうで、15万文字の本を日に2時間半作業して書く場合時間あたり3000文字書くことになるらしい。小説と卒論ではそうとう違うが、それ相応の経験や知識、勉強なしに小説は書けないだろうから甘く見てはならない。小説家を論文作家にコンバートするのは現実的には無理だろうが、それでも比較するなら少なくとも自分の3倍か4倍は書くんじゃなかろうか。

 

 書くペースはもう書いてリハビリしていくしかないと思う。嘘でも3日で2~4千字用意できていたわけだから、続ければ戻るか成長するかするだろう。書くことが決まっているのに脳みそがバグって思考停止してしまったのには自分でも驚いたし、以前のペースとはギャップがあったので不安にもなったが少しずつ良くしていくしか無い、としか言えない。

 

 昼間はずぼらの理由を漁っていたが、その後、そもそもあえてめんどくさい作業をしなければならないのはなぜか改めて考えてみた。普通に就活してやっつけの卒論を書くなり買うなりして卒業すればよかったんじゃないかとか、卒業放棄してフリーターになっても別にいいんじゃないかとか。

 結論としては「それはそうだな」と言う感じで、逆にあえて頑張る理由がどこにあるのか考えるのが必要だなと思った。自分はまともにスケジュール管理できないし対人スキルよわよわなので、おそらくちゃんとした就職はできないだろうな、就職しても働けないだろうなと言う予感がある。それでもあえてちゃんとした仕事(?)につこうと思うと、裁量権があって個人プレイで提出物さえこなせればなんとかなる仕事が向いていそう。フリーランスプログラマとかが妥当なのだろうが、自力でプログラミングを習得するほどの熱もなかったし(Pythonを齧って折れた)プログラミング教室に通うお金もないのでちょっと達成まで距離がある。それにフリーランスなら脳みそが溶けたおっさんになるまでの間ならいつ勉強を始めてもなれるんじゃないかという気がした。とりあえず自分は哲学科に居て、そこらの学部生よりはマシな勉強(?)をしているので惰性でこのまま勉強を続けて、行けるところまで行ってお金がもらえる所につながればなという風に思った。大学を一度離れて入り直すのは難しいし、勉強し直すのはむちゃくちゃガッツがいるので体力のない自分には無理だろうなと思う。結論、勉強は惰性だ。肩肘張って頑張るモチベーションは正直ないことがはっきりした。まあ、大学に居られなくなって後から勉強すればよかったと思うよりは、いまちょっと頑張るほうがラクじゃないかなぐらいの気持ちはあるかもしれない。

 ただ頑張るのは嫌だ。報酬がないから。

 学生の身分で勉強してもお金がもらえるわけじゃないし、交友関係が増えるとか、楽しい友だちができるとかいうことはあんまりない。本当に勉強が好きでガチでやっていたら勉強が好きな面白い人が集まってきて面白い感じにはなるだろうが。正直そうじゃない友だちもほしい。そうじゃない友だちこそほしい。気を抜くと真面目な話とかほんの話ばかりしているし、そこでかわされるすべてのメッセージの裏には常にもっと勉強しろという強迫観念が控えているので疲れる。大学生活の最初の失敗は遊ぶだけの友だちを確保して置かなかったことだなと思う。

 とにかくわかりやすい報酬がほしい。仕事と対価と言う意味では、多分「仕事がつまらない」ことで悩んでいる大人のためのブログを漁るのが良かろう、と思って漁る。転職サイトに誘導するものが多くて見たい話がすぐ見つからない。

 

https://www.shigoto-web.co.jp/tensyoku/archives/shigoto-tsumaranai/

 27超えて転職はおすすめしない、鬱はまっさきに直して健康な状態で重要な判断をする、人の仕事をもらうとか副業するとかするといい、みたいなことが書いてある。

 卒論的な作業と関連する副業ってなんかあるんだろうか。どちらにせよ下準備と言うか勉強期間が必要な気がする。お金がもらえるほどのスキルが自分にはあると思えない。……そう考えて自分の今の仕事はマネタイズに程遠いんだなということに気づいてハッとした。アホなので気づかなかった。

 

https://mynavi-agent.jp/dainishinsotsu/canvas/2019/11/post-256.html#sec4-1

 4-4.の自分に原因がある場合の対策で、自分の仕事が業界全体でどういう役割をするのか俯瞰するとか、他の業種の人と話して自分の仕事を客観視するとか書いてあって、これはちょっとやっておきたいなと思った。そもそも文系不要論が叫ばれたりしてる世の中で、しかも哲学となるとなかなか世間一般の何の役に立つのかよくわからないし、他の人と話すと励まされるよりはむしろモチベーションが下がりそうで怖いが。それでも哲学を自分の仕事と自認している人が一体どんな動機でやっているのかは気になるところ。卒論で直接取り扱うつもりはないが、自分の関心とも連関するかたちで非常に近い問題なのでそういう面でも関心がある。あと業界での役割は序論で確認したけど、原文も怪しい他の著作群もそれほど押さえてない学部のガキが書いたものにそんなもの担えるんか?ア?という感情がある。私は怒りがだいたい自分に向く損な性格をしている。チームFPSやって仲間にキレようかな。どっちもやったことないけど。

 

 雑にまとめると、マネタイズ出来るレベルまで自分のスキルを上げるとか、やってることの客観的意義がわかるとかすると良いよってことになるのかな。

 後はもう仕事の客観的意義を自分で勝手に作れば良いのかな。

 現状若干厳しいけど、とりあえずめちゃくちゃ読みやすく各努力を続けて、願わくば卒論がある朱の哲学入門として読めるようになってると、後ろの学部生とかネットの数少ない読者さんも楽しめたり役に立ったりするかな。

 

 じゃあバグってきた脳がマシになって落ち着いてきたんで、こんなところかな。

 ちょっともう今日は作業しません。ではまた。

2021/07/13_作業がめんどくさい

 めちゃくちゃ作業がめんどくさい。

 卒論を書く大学生なので卒論を書いているのだが、めんどくさい。

 

 卒論は題目も章立ても各章のアウトライン(?)も決まっているのだが、そのための適当な引用箇所集めと、執筆作業が全部残っている。絵でいうとデッサンが終わっててこれから絵の具を集めて筆を走らせましょうと言う段階?

 しかし腰が、上半身が、体全体が重い。ベットから出られない。いやそこまでではないが、確かにだるいしめんどくさい。

 

 とにかく作業がしたくないので理由を考えてちょっとでも対処することにする。

 何かができないとかうまくいかない時の理由には、精神的理由と身体的理由が考えられる。例えば引きこもりの理由を考える。学校で嫌な目にあったとか対人関係でトラブルになったとかそういう精神面での理由が考えられる。これが精神的理由。これとは別に登校する体力がないとか、対人恐怖症が発症してるとかの理由が考えられる。こっちは身体的理由。

 精神的理由は認知行動療法とか時間に癒やしてもらうとか、認識を書き換えないと解決できない。手をつけるコストは低いが精神的理由にアプローチして解決するためにかかる時間は長い。

 身体的理由は投薬するとか生活習慣を変えるとか物質的な仕方で解決することになる。通院すれば金はかかるが、生活環境を変えるぐらいのことは低コストで出来る。また精神的解決よりも効果が出るのが早いしわかりやすい(気がする)。解決の兆しが目に見えてわかれば気分も上がるので精神的理由も解消されやすい。

 とりあえず身体的な解決案を出すのを目指す。

 

 まずは性格についてあらためて考えておこう。先天的にか後天的にか人間誰しも性格がある。そもそもズボラな性格なら、そこから考え直す必要がある……気がする。

 とりあえず16 Personalitiesをやってみる。海外発祥の有名な性格診断。

 結果は、ENTP-T、討論者型の性格 。

https://16personalities.com/ja/entp%E5%9E%8B%E3%81%AE%E6%80%A7%E6%A0%BC 

 多分あたってる。アイデアをポンポン出して楽しみのために討論をしたがるが、実務的な作業は退屈に感じて避けたがる。

 

 例えば、この記事のアイデアが出た時点でエネルギーはピークで、これを書いてる途中で飽きちゃって、さっきまでパソコンを放置してスマホをいじってた。なんで途中で投げ出しちゃうんだろうか。

 

 性格診断をやってわかった重要なことは、性格診断で自分がどこでズボラになるかはわかるけど、どうやったらズボラじゃなくなるかはわからないということだ。

 適当にブラウジングしてみよう。

 

https://diamond.jp/articles/-/200056

 このサイトでは人間を、めんどくさがり、完璧主義、楽観主義、ネガティブの4つに分類して「めんどくさい」心理を説明、対処法を紹介している。

 後半にも書いてあるが複合型がありえるので4つのうちどれか一つだけに当てはまるわけではない。とりあえず対処法を全部採用すればいいんじゃなかろうか。

 とりあえず5分作業する。アウトラインを先に作る。ドラマを用意する。心理的安全性の確保。

 ドラマを用意する以外の対処はできるな。ドラマは一番必要としてるが今は思いつかないので今月中になにか思いつきたい。

 

https://lidea.today/articles/002134

 このサイトでは脳みその特性からしてめんどくさく感じる理屈を紹介している。

 ここでハッとしたのは、静かすぎる環境で仕事すると脳みそが暇して「めんどくさいと考える」リソースが出来ること。引きこもって自宅で静かにやっているのでこれは完全に当てはまる。雑音が聞こえる環境を作るとか、適当な脳みそのリソースを埋めてしまう仕組みを作ればいいのかな。

 

https://toyokeizai.net/articles/-/350400

 上で紹介した二つのサイトが「めんどくさい」心理の比較的根本的な理由を話しているとすると、このサイトはそうした理屈が実際的にどう表出するか分かりやすく話している感じ。

 

 ああ。めんどくさい理由を考えるのもめんどくさくなってきた。

 とりあえず頭のリソースの使い方を変えるのと、作業したくなるようなドラマとか結果を用意することから始めるかな。