2021/03/29_自己満足不全とトラウマ

 

  

お久しぶりです。しばらく潰れていました。今も体調がいいとは言えません。とにかく悪い想像をしたり体に力が入らなかったり身に覚えのない筋肉痛が治らないとか喉の奥に口内炎ができてるとか色々あります。

人間の状態を悪くするものには一般的に精神的なものと身体的なものがあるわけですが、とにかく私は起きて活動することができないので(運動とかできないので)精神的な要件から解決したいなと、色々と自己解明の努力をしていました。

最近わかったことなのですが、私は自己満足ができません。自分一人で何かを感じるという機構が全然働いていないらしく、何かに対して喜ぶとか悲しむとか怒るとかそういうことが(少なくとも今)全然できていません。色々な理由はあるような気がします。例えば怒りに関しては抑制がかかっています。ものにしろ人にしろあたってはいけないと強く思い込んでいるので、攻撃性はほとんど自分に向けられてしまいます。結果怒りの感情は対外的には表出することがなく、ただ私がストレスを得るわけです。あるいはもしかすると、喜びや悲しみに関しても対外的な規範意識超自我)の働きで何らか抑制されているかもしれません。

いずれにせよ自分は自己満足の機能不全を起こしています。このことと相関的に起こっている事態は、評価基準の外在化です。自分で評価する基準が存在しないので、客観的に評価されたり利用価値があることができないと自分を攻めてしまいます。評価基準が存在しない他者で、しかも(多分)過剰適応を併発しているので、要求は高めです。例えば、生産性がなければならない経済性がなければならないコストベネフィットよくコンテンツを大量生産すべきだ誰かが利用できなければいけないコンテンツはいまどき誰にでも作れる手と目が動くのだから絵も文章も映像も音楽も理念的には全てのメディアで制作できて然るべきだ当然相応のインプットも無ければならないしかし最低限で最大の効果が出せなければ駄目だ等々。頭の中では存在しない他者が毎日こういう要求を掲げるわけなんですが、実際には達成できないので毎日ストレスと失望を得ます。こういうことの繰り返しでここしばらくの間だんだんダメ人間になっていったようです。最近わかりました。

まともな文章がかけません。あまり本も読めないようになっています。最近文体を感じられません。小説も駄目です。アニメを見る時顔面が死んでいます。音楽を聞く時耳が痛くなります。ゲームに触れられません。

以上近況報告です。

以下更に進んで現状こうなっていることの理由を開示したく思います。

これは最近聞いた話なのですが、自己満足の契機には自分の可能性を開示しきってその先で否応ない結論にぶつかること現実性に直面することが含まれるそうです。たしかにもっともらしいと思うので、ひとまずこれを受け入れます。そのうえで、なぜ私が自己満足できないのか、自己満足の契機が達成できないのか考えてみたいと思います。

まず現実への恐怖です。何も成し遂げないまま終わること、中途半端に終わることは怖いです。それから死ぬことの恐怖です。すべての可能性を完全に開示するために死ぬのではないか、そして多分それまでの道のりは痛くて苦しいだろうなという恐怖があります。

後者の恐怖はトラウマのせいです。小学生から中学生に上がるしばらくの間ちょっと引くほど勉強したことがあって、中学生の時に一度倒れて気がついたら母親の車で運ばれていたことがあります。あれ以来努力しても何のいいこともないしとにかく長い間辛くて苦しいだけ、最後には死に近づく、という刷り込みが離れません。怖いよなあ。

前者の恐怖は多分祖父からの刷り込みですかね。あまりそう結論づけたくはないですが、合うたび必ずおまえは偉くなると言われるのでなれなかったらどうしようという恐怖でいっぱいです。今のところ偉くなりそうな要素ないですし、偉くなってどうすんねん思いますしね。怖いです。

以下では恐怖という観点から絶望状態に入るまでの過程も追ってみます。

他人が怖いです。他人の評価に言い返せないので、他人の声が全部怖いです。相手にその意図がなくとも残響が繰り返し響いて肌が傷だらけになります。存在しない声と重なって誰ともわからない人からの非難の声が繰り返し聞こえます。正気ではないです。けど他にどうなりようもないです。

他人の声が怖いので、自己防衛のためにも客観的に文句の言われない状態になりたいのですが、過剰適応があるのでその客観性に絶対たどり着きません。大学に入った頃はある時期まで多少頑張りましたが、いろんな用事を押し付けられたりしたこともあってただ忙しい割には何の成果も得られない日が続いてました。いや成果はあったのかもしれませんが、成果とは思えませんでした。そういう日が続いてとにかく毎日しんどいし、息が浅い。起きている間ずっと溺れながら必死に泳いだ水泳の時間みたいでした。結果として学校を休みがちになって単位はとってるけどほぼ不登校みたいになりました。いろんな課外活動を辞めました。その頃は授業とか何も面白いと思えなくてとにかく辛かったです。気を紛らわすために大量にアニメを見ていた気がします。正直あれはどういう気持だったのか今ではよくわかりません。少なくとも授業よりはアニメのほうがおもろいなとは思っていた気がします。

そのままアニメとか批評とか面白がるマンになって成長すればよかったんですが、何も面白くないマンになって絶望状態に入りました。

現状の成立過程を踏まえると、評価基準の外在化→自己満足の消失という順番のようです。自己満足できなくなるトリガーは前々からあったようですし、内在的なモチベーションをあまり感じられないのは割と前からなので、一概にどちらが先とも言えないかもしれないです。それを踏まえると外在化と自己満足不全は相関構造としてサイクルを断ち切れるよう考えるべきかもしれません。

対策を考えたいのですが、正直どうするのがいいかわかりません。

どう考えてもある種の強迫観念をどうにかしないとどうしようもない気がするのですが、これを取り除いてしまうと感情がなくなっているので行動原理が存在しなくなってしまいます。気がかりなのは、いま体中炎症のような状態で何もしていなくても辛いので、何もすることがなくてその状態だと安易に飛び降りてしまわないか心配です。しんど。

まあでもリスク取って強迫観念除去するのも手です。ただ、強迫観念って認知行動療法で取り除けるんでしょうか。ちょっと調べようかな。

他の解決策があるとすればトラウマを解消して強迫観念ドリブンに乗ることでしょうか。これに関しては自分の心理状態が希求する状態に一番近いわけですが、トラウマの解消の仕方がわからないし、強迫観念ドリブン毎日躁状態とか出来る気がしないしできたらすぐ死ぬんじゃなかろうか。怪しいです。まずはトラウマの解消法から考えることですかね。これも一種の強迫観念として取り扱うのかしら。

まずは認知行動療法(暴露療法)に関する外延情報を仕入れるところからはじめてちょっとづつ対処を考えます。

おしまい。